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にしかたの昔語り

湯野沢の三狐



 京都の伏見稲荷神社の稲荷山の土地は農作物の収穫が豊富でしたが。農作物を野に積んでおくと鳥や獣に荒らされました。そこで狐に食を与え飼いならし、狐のために番小屋を建てて農作物を保護させました。狐は利巧な動物で、小豆ご飯や油あげをやると喜んで地主に協力するといわれました。このため稲荷神社に祀られるようになったといわれています。 
 峯山のとんべえ(藤兵衛)狐、カスケの稲荷狐、笹の崎の三太郎狐は、湯野沢の三狐といわれてきました。

  峰山の藤兵衛狐その1−狐の葬式行列に囲まれた話
 この狐は白狐で豊作を呼びまた恩を忘れぬ狐ですが、人間をよくだます狐です。「朝日さす桜の下に金千両コンコン」となく狐だそうです。
 明治時代のこと、湯野沢の鍛治屋の五助という人が樽石によばれていった帰り道のことです。帰りが夜遅くなった五助は近道をして峯山下の古道を通ってきました。五助は「峯山の近くを通ると狐が出て人をばかにする」という話を知っていましたが、「俺は狐なんかにばかされない」と思いながらも、恐しくて金棒を地面にすりながらガラガラと音をたて、恐ろしさをまぎらわしていました。
 しかし、桜橋までやってきた時、五助は狐の葬式にとりかこまれてしまいました。五助は恐ろしくなり近くのくるみの木にのぼりました。しかし、狐たちは提灯をさげ「がん」(死者の棺)をかつぎ行列をつくって、くるみの木の下をぐるぐるまわり続けました。そして「けさ、カスケの旦那が死んだ。今晩葬式をしている。お前も葬式にまざってけろ。」と狐にいわれたといわれています。
 五助は怖くて怖くて逃げようと思ってくるみの木から飛びおりたところ、狐火は消えてしまいました。この時、五助は樽石の家からもらってきた「わらずと」にいれた引きで物の油揚、赤飯、昆布をとられていたといいます。峯山の隣りの坊ケ峯にはよく狐火の行列が見られたそうです。南に向う狐火は嫁入で縁起がよく、北の峯山に向う狐火は葬式だと伝えています。
              峰山のながめ
                                   峰山
  峰山の藤兵衛狐その2−いい風呂だいい風呂だ
 昔、ある湯野沢の人が親類の結婚式によばれて岩野に行きました。この人は酒好きな人で、夜遅くまで飲んでいる癖がありました。母ちゃんは「父ちゃん、飲みすぎて遅くなったら、泊めとめでもらってこいなはあー。」と言って送り出してやりました。
 その夜、父ちゃんは帰ってきませんでした。母ちゃんはてっきり父ちゃんは親類の家に泊まって帰ってくるものと思っていました。
 ところが、朝になって母ちゃんは隣りの人から「お前の父ちゃん、桑畑の肥だめに入って、ダラを頭からかぶり、いい湯だいい湯だといって狐にだまされている。」と教えられました。
 母ちゃんが急いで桑畑にいってみると、父ちゃんは太陽がのぼったのにまだ「いい湯だ、いい湯だ・・・」と肥だめに入っている。
 近所の人と2人で家につれてきて、やっと父ちゃんは正気に帰りました。
 あとで父ちゃんに聞いてみると、昨夜酔っぱらって帰る途中、若い娘に出会い、「湯の入温泉にいって湯に入っていきましょう。からだを洗ってあげますよ。」といわれて、風呂に入っていたのだといいました。
  峰山の藤兵衛狐その3ー藤兵エさんと湯野沢狐のはなし
              初冬の湯野沢地区
                                初冬の湯野沢地区
 葉山に3度雪が降り、湯野沢の弘法寺さまの銀杏の葉っぱもすっかり落ちて村里は根雪になりました。北山も峰山も、坊が峯も中山も、おくまんさまも白子山も真っ白になりました。
 翌日は暖かい小春日になり、人と牛車の通る表通りと田畑の畦道は雪が消え、野には枯草が現れました。
 そんなある日の昼下がり、湯野沢の藤兵エさんは、昨夜嫁の実家の岩野の祝言に呼ばれ、二日酔いになって、峰山裾の谷地道を帰って行きました。羽織袴の上に袖がっぱを着て、おこそ頭巾をかぶり藁沓をはいていました。右手には「藁づと肴」(藁で編んだつとに包んだ祝言の御馳走。)を提げていました。
 峰山下まで来ると藤兵エさんさんは稲荷堂の前の枯草に腰をおろし一休みしましたが、小春日和の暖かさとほろ酔いでいつの間にか眠りこんでしまいました。どれくらい寝たか、傍の豆柿の枝から顔に落ちた葉の冷たさで目を覚ますと、日は沈み辺りは寒々として薄暗くなっていました。藤兵エさんさんは帰ろうとしましたが、藁つとがありません。すると左手上の枯れすすきの叢から人の声が聞こえてきます。すすき越しに覗くと、中年の2人の農夫が藤兵エさんさんの藁つとの赤飯と御馳走を食べながら何か相談しています。藤兵エさんさんは「泥捧!」と怒鳴ろうとしましたが、2人の農夫の尻から狐の尻尾が出ているのに気づき、恐怖のあまり声が出ません。その上一匹の狐は、藤兵エさんにそっくりに化けています。藤兵エさんは腹這いになって狐の相談話を聞いていると、藤兵エさんにそっくりに化けた藤兵エ狐が、もう一匹の三太郎狐にいうには、「この春先に、可愛い一人娘のおさんこ狐を嫁にやり、樽石の金貸しからこの年末を期限に多額の借金をしてしまった。今年は不作のせいか俺んとこの稲荷様には餐銭の上がりはない。日限も迫っている。俺を助けてくれ。」すると三太郎狐は「親友のお前の頼みだから聞いてやりたいところだが、俺んとこだって上がりが悪くて、銭などお前に貸せるわけはないだろう。」すると藤兵エ狐がいうには「いや、銭を貸してくれというのではない。俺の策略に協力してくれさえすればいいのだ。お前は今あそこに寝ている藤兵エにそっくりに化けている。俺の化けた湯野沢の黒べこを連れて大原の悪馬喰の紀伊のところに連れて行って売ってもらいたいのだ。湯野沢の黒べこはうまい肉で評判がよい。5両にはなるだろう。協力してくれたらお前に分け前として2両やる。どうだやらんか。」と相談すると、三太郎狐は「よかろう。折角の親友の頼みだ。」といって協力を約束しました。こうして2匹の狐は湯野沢から大原に抜ける大原道の途中にある九兵エつつみのところで、翌日の昼過ぎに待ち合わせることにしました。
 この話を盗み聞きした藤兵エさんは、狐に気づかれないように家に帰り、狐に憑かれたようにびくびくしながら、このことをかかあに話ししました。するとかかあは、「何恐がってんの。峰山の稲荷様が幸運を授けてくださったんだべ。あんた、明日藤兵エ狐より先に九兵エつつみに行って黒べこを待ちうけ、何食わぬふりして連れて行き、紀伊馬喰に売って来ればいいんだよ。さあ、勇気を出して!」と言いました。
 翌日、藤兵エさんがの藤兵エ狐より先に九兵エつつみで待っていると、ほどなくして狐の黒べこがやってきました。黒べこに化けた三太郎狐は、「お前うまく化けたもんだなや。藤兵エにそっくりだ。」といいました。帰りにまたここで待つ約束をして、藤兵エさんは何食わぬ顔で紀伊馬喰のところに狐の黒べこをつれて行きました。紀伊馬喰は黒べごを見て考えていましたが、「ええ〜良いべこだな〜。湯野沢べこだな。」といって、藤兵エさんに5両を渡しました。藤兵エさんは、狐の黒べこを牛舎に入れるとすぐさま、九兵エつつみを通らず大久保通路を通って家に帰りました。
 一方、狐の黒べこは、馬喰一家の人かげを見はからって狐にもどり、九兵エつつみまで来ると狐の藤兵エが待っていました。狐の藤兵エは「待ってたぞ!遅い!早く黒べこに化けろ!」と怒鳴りました。すると人間の藤兵エさんに売られたことを知らない黒べこの三太郎狐は「遅いとは何事だ!早く俺に2両の分け前をよこせ!約束を破り、独り占めする気か!」人間の藤兵エさんにだまされたことを知らず、2匹の狐は噛みつき争っているところを、ある農夫に捕らえられて毛皮にされてしまったそうです。
 このとんまでまぬけな藤兵エ狐を訛ってとんべい狐と呼んだそうです。
 なおこの話は峯の下の田畑で働く正直者の藤兵エさんが藤兵エ狐と同様に娘の嫁入り資金を借金して苦しんでいるのを見かねた峰山の稲荷様がお金をめぐんで下さったのだ、と古老は言っています。また、湯野沢牛が有名であったことと、馬を飼うのを忌み嫌う湯野沢の風習を伝える話でもあります。
  狐の嫁入り
 昔、大久保地区の笹の崎の三太郎狐と大久保峠のおさん子狐が結婚することになりました。しかし、緒婚式につかうあぶらげと酒がなくて困っていました。相談した結果、利口な2匹の狐は、湯野沢で夕方遅くまで商売をして帰る楯岡の酒屋のだんなと呉服屋のだんなに頼んでみることにしました。
 ある晩、2匹の狐は呉服屋と酒屋の番頭に化けて、店の名前を書いた弓張提灯を持って、だんなたちが湯野沢から商いをおえて帰ってくるのを、むかえにきた番頭のかっこうで、村はずれでまちぶせしました。だんなたちの帰りにあい、2匹の狐の化けた番頭は、「だんなさん、狐の嫁入りを見たことがありますか?10月15日の夜6時に、笹の崎の三太郎狐と峠のおさん子狐が結婚式をするそうです。お祝いとして油揚百枚、酒1斗を持って大久保の峠までいくと、狐たちはお礼に狐の嫁入りを見せてくれるそうです。」といいました。
 2人のだんなは、「ははあ、こんなことを言うのは、さては2人の番頭は狐だな」と思って、狐を生けどりにしようと思いましたが、狐の嫁入りを見たかったので、こらえて、見せてもらうことを狐に約束しました。
 10月15日、夕方6時に、だんなさんたちは約束の酒と油げを持って峠まで行きました。
 すると狐たちは羽織袴、家紋を書いた提灯を持って出むかえました。そして、だんなさんたちは紋つき羽織袴をつけた大勢の狐たちのいる広くて立派な御殿に案内されました。
 すると、殿さまの乗るような立派なかごに乗った、この世のものと思えない美しい花嫁行列がやってきました。やがて結婚式が終わり、だんなたちがふと気がつくと、大勢いた狐たちは消え、狐の提灯も消えました。そしてただ2匹の狐だけが残っていました。座敷だと思ってすわっていた所は高台になっている丘の上でした。残った狐は、三太郎狐とおさん子狐でした。そして、三太郎狐とおさん子狐は、「だんなさんたちのおかげで、無事祝言を終え、私たちは結婚できました。そのお礼としてだんなさんたちの商売が、大繁盛するようにしてあげましょう。ですから、お店をもっともっと大きくしなさい。」とお礼をのべました。そして、2匹の白狐は消えてしまいました。
 その後、楯岡のだんなさんたちの店は繁盛して、東北一の呉服屋、県一の酒屋さんになったということです。
  あずきとぎする狐
 村山市岩野の道の桜橋に近くに、豆柿の木があります。この豆柿の下の川で、夜になると「ざっくざっく」と小豆をといでいる狐がいるといわれます。
  狐のおかげで長者になった話
 昔、狐の葬式に出会った人が、孤から「今晩、父の葬式をださなければならない。葬式につかう油揚と清めの酒がないので困っている。あなたのさげているつとの油げと酒をゆずって欲しい」と頼まれました。その人は、狐をかわいそうだと思いくれてやったところ、葬式が終ってそのお礼にと狐は「朝日さす桜の下に黄金千両」と宝物のありかを教えてくれました。この事があってから、その人は千両長者になったそうです。
  カスケの稲荷狐
                      カスケの稲荷様
 正一位という位をもった稲荷さまの白狐です。この狐は稲荷さまの財産を守っている狐です。ですから、稲荷さまのものを盗んだりするとばちがあたるといわれています。
 湯野沢のお八幡地区のTさんは、明治時代のこと、屋根の組木にする柴木をとりました。その時、狐にたたられ左手の親指に怪我をしたそうです。狐の歯のの跡のような傷でした。
 また、ある村の木こりが同じように、稲荷さまの境内の柴木を切ったので、頭が狂っで自分の妻を殺してしまったことがあったそうです。
 他にも、稲荷さまの木を切り、精神異常になったり、病気になったりした例がたくさんあったそうです。これらはみんな狐のたたりのためだといわれています。